阿佐ヶ谷名曲喫茶ヴィオロンLIVE

昨日2月11日は阿佐ヶ谷名曲喫茶ヴィオロンでのトルコ伝統弦楽器サズ奏者Mr.FUJIライブにゲスト出演。たくさんのお客様にお越しいただき本当にありがたや!長くなるけど、MCで話したライブ前のサプライズ含め書いちゃいます。

お馴染みのブランデー入り珈琲をすすりながら第一部FUJIさんサズ演奏と自作小説の朗読に目を閉じ耳を澄ませていると、たちまちに心は異世界にスリップ。ふと目を開けば、ヴィオロンに通っていた前世紀末からほぼ変わっていない店内の装飾がぼんやりと現れてきて、阿佐ヶ谷駅前の路上で歌っていた頃の青い春の甘く苦い記憶が次から次へと降りてくる。

実は夕方の会場入り前に、かつて住んでいた風呂無し便所共同四畳半家賃一万八千五百円のボロアパートが今どうなっているか覗きにいったのだ。ヴィオロンから歩いて数分程度の路地の奥、この先行き止まりの袋小路にある木造二階建てのアパートだった。いわゆる安下宿だが大家がきれい好きで掃除が行き届き、実に気持ちよく暮らせるアパートだった。庭には月桂樹が植えられていて、屋根の近くまで高く育ち香りのよい葉を繁らせていた。時々窓から葉を失敬してカレーなどに入れたりもした。調べると月桂樹はトルコあたりが原産で、その冠は勝利と名誉の象徴として詩人や英雄の名誉を讃えてきたという。僕はますます月桂樹のことが好きになった。寝転んで窓から外を見上げると、青い空と月桂樹しか見えないこの部屋もますます好きになり、「こりゃ四畳半のパラダイスだぜ」などと粋がって、ひとり歌って暮らしていたものだった。しかしこの月桂樹は後日突如として切り倒され姿を消した。そのあまりのショックで「手紙」という歌ができたことは、よくライブのMCで話している通り。

その後僕は阿佐ヶ谷を去り、気が付くとイラクまで行ってしまった。NPOなどで駆け回り、歌からはしばらく離れていた。しかしイラクで出会ったすばらしい芸術家たちに刺激され、再びギターをとり歌うようになった。八年ほど前になるだろうか、音楽活動再開記念のライブはここ阿佐ヶ谷だった。その時も同じくあのアパートがどうなっているのか覗きに行った。アパートはあったがもう誰も住んでいなく、僕が住んでいた部屋の窓には蔦が絡みついていた。切り倒された月桂樹の切り株にはたくさんのひこばえの枝が空に伸びていた。

そして昨日もまた覗きにいってしまったわけだが、アパートはもう跡形もなかった。ぽかんとした空き地はロープが張られ中には入れず、分譲中の看板だけが立っていた。振り向くと立派なお屋敷があの時と変わらずそこにあった。そこには当時小学生くらいの三人娘が暮らしていて、僕のことを面白がって近づいてきてよく一緒に遊んだものだなあと懐かしんだ。あれから四半世紀も経って、今はもう立派な大人なんだろうな。どうしてるのかな、なんて思いながら踵を返して袋小路を戻っていった。すると前から袋小路に向かってくる二人の女性が見えてきた。一人はベビーカーを押しているお母さんで、もう一人はその方の母親のように見えた。近づくとそのお母さんの顔がだんだんあの時遊んでいた女の子の顔に見えてきた。向こうも不思議そうに僕の顔を見ている。もしや?と思い声をかけるとやはりあの女の子だった。向こうも僕のことを覚えていて、よくお菓子もらったことや、部屋まであがりこんでギター触ってみたりしたことまで、色々と細かいところまで思い出して話してくれた。お子さんは去年生まれたばかりだという。お母さんになっていたけど、笑って話す顔はあの時の女の子の顔そのものだった。彼女から見た僕は、きっと不思議なあんちゃんから不思議なおんちゃんに変わっていたかもしれないけど、同じく笑顔は変わっていなかったんじゃないかなと思っている。

ヴィオロンの第二部は僕のギター一本弾き語り。一曲目は、8年前音楽活動再開を機に生まれた歌「この路の上で~阿佐ヶ谷へのオマージュ」。MCではつい先ほどの女の子との再会のことを話した。そして季節限定曲「マイ・ファニーバレンタイン」の日本語版、しばらく会えていない息子とふるさとのことを歌ったオリジナル新曲「手と手」、レッドツェッペリンの歴史的名曲「天国への階段」に挑戦し、ラストはガザを想ってパレスチナ民謡「ハラララライヤ」をみんなで歌った。普段やってない歌や初披露の歌続きで緊張したけど、変わらぬヴィオロンの心地よさとお客さまの温かい拍手に支えられなんとか歌いきれた。

第三部はサズ名手Mr.FUJIとの共演。先に話した月桂樹のことを歌った「手紙」から、トルコの少数民族ザザ人の消された町の名がタイトルの「エルカジエ」、そして望郷の切なる想いを歌う名曲「アラドクチャ」と続き、いつもChalChalで演奏している「ヤームール・ヤール(雨の歌)」ではなんと、リハの後で全員集合楽器持ち込みで観に来てくれたChalChalメンバーも一緒に演奏して盛り上げてくれた。無茶ぶりに即応じてくれたチャルのみんなに感謝。ラストは小気味よいビートの「シキ・シキ・バーバ」に初挑戦。男女の掛け合いコーラスが楽しくどんどんはちゃめちゃなノリになっちゃうけど、なんだかFUJIさんのキャラクターにバッチリはまっていて、病みつきになりそうな歌。第三部はほぼトルコルーツの曲で、今回リハ直前に生まれた日本語詞もふんだんに取り入れ、新しいチャレンジ満載のライブに。

FUJIさんはサズの名手というだけにとどまらず、自作小説の朗読を取り入れたりと、実に自由な表現者であり、大変なベテラン演奏家にも関わらず誰にも変わらず温かく接してくれるステキな大先輩。僕もFUJIさんとご一緒させていただく時はいつも自由にのびのびと演奏できるし、創作意欲が刺激されて新たなアイディアもどんどん生まれてくる。そんなFUJIさんにゲストで招いていただき、こうして再びヴィオロンでご一緒できて幸せだなあ。

たくさんのお客さまにも感謝です。新潟など遠くからも、そして僕の京都時代最初のギター弾き語りレッスン生徒も来てくれました。当時中2でしたがメキメキ上達して今や大学のジャズ研でベースも弾いて活躍中で、もう成人なんで打ち上げではビールで乾杯。一緒に呑める日が来るとは、感無量。そしてまた新たに僕のギター弾き語りレッスンを受けたいという方からもお声がけいただきびっくり。ここしばらくちゃんと宣伝してなかったのに、情報チェックしてライブきてくれたとのこと。なんてありがたいんだろう。

ヴィオロンは創業44年だそうです。僕が本読みに通っていた青春時代からあの雰囲気を守り続けてこられて、今はこうして表現者として迎え入れていただけるこの感動は、言葉にするのはまだまだ時間がかかりそう。それにしても、やはり僕にとっての阿佐ヶ谷はほんとうに不思議で、ミラクルで、かけがえのない街。ここで歌ってきて、そして再び歌い始めてからまたここに歌いにこられて、僕はなんて幸せなんだろう。阿佐ヶ谷の街と、人と、ここで生まれた歌たちに、心からありがとう。